2009年12月31日

軍事輸送を担った三菱

台湾出兵をした際に軍事輸送を三菱が手助けした事が、政府への絶大なる信頼に変わった三菱に対して、第一命令書が発令され、海運助成策を独占、その要請に応える様な形で、三菱は全社を挙げて軍事輸送を行ったと言われています。

この為、三菱と政府の間には信頼関係が生まれ、日本と言う国の中に三菱の地位を確立したと言います。ここから日本経済の発展においても大きな力を発揮していく事になります。まさに岩崎弥太郎の三菱独占状態と言う状態になってきたと言う事です。

また三菱への助成を推進していた人物には、大隈重信、大久保利通がいましたが、その大久保利通が明治11年、暗殺されてしまう事になります。この事が出る杭は打たれると言う事を暗示していたのかもしれません。

この頃、自由民権運動が強まってきている所で、伊藤博文、大隈重信の意見が対立を深めていました。大隈重信の意見は福沢諭吉の考えと当時似ていた物で、国会開設を早める事、英国と同じ様な議院内閣制を実施する事を主張していました。一方伊藤博文は全身的な国会の開設、君主権限が強い国家にする事を主張していました。

明治14年、大隈重信の意見が通る様な出来事が起こり、政府が批判にさらされる事態になりましたが、逆に大隈重信は罷免されてしまいます。

この事を境にして、自由民権運動はますます勢いを付ける事になり、大隈重信は立憲改進党を結成して政党政治が出来る様に改革を進めていったと言います。これは伊藤博文等にとっては脅威な事でした。なぜなら大隈重信には、福沢諭吉の知恵が付いていましたし、なにより岩崎弥太郎が持っている財力がありましたから。



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Posted by mori  at 00:00 │三菱商会